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1038年12月
聖ちゃん、お留守番お願いします。



帰還。
そして、別れ。



聖、享年1歳8ヶ月。
死に際に不謹慎かもですが、か、っこいい……! 最期までイケメン女子……!
ありがとう。



1039年1月
皇子のところから刑花の末娘来た。





皇夜(こうや)、剣士。指南役は刑花。
この特徴である。こんな美人さんなのに、わっるい顔で笑うんだろなーと思うとぞくぞくします。すばらしいです。きっと家族以外には口も悪かったりするんだろうなーかわいい。

で、こういう子が来たので、最終決戦は皇子の子×4で挑むことに決定しました。
「氷ノ皇子が育ての親だとかいうあの餓鬼に、かの神の血を引いた本物の子をぶつけてやろう。本物の子であり、孫でもある子を揃えて並べて。さて、あのふざけた餓鬼はどんな顔をするのかね?」
皇夜さん物騒。

「……私に似たんじゃ、ないよね?」
「どうでしょう、当主さまも過激なところはありますからね。案外当主さま似かもしれませんよ」
「私、イツ花からはあんなふうに見えてるんだ」
「いいえ、あれほどぶっ飛んではないですって。大丈夫!」
「……そう」

乱花とトキカは母親似で、獅白と皇夜は父親似っぽい。



で、今月は休養。



1039年2月
今月も皇夜の訓練は刑花。



トキカちゃんは何だろうな、属性武器が合っていないわけではないのだろうけれどもいまいちダメージ与えられないなー。体火が500くらいしかないから?
あと、獅白は基本雑魚から倒していくスタイル。



1039年3月
今月は久し振りに春の選考試合に参加しよう。何年ぶりだ、春。



以下組み合わせ。



阿部さんとの決勝はそろそろお腹いっぱいです。
今回は皇夜初陣なので勝てなくてもいいくらいの気持ち。



あ、技ありだけど勝てた。



1039年4月
うーん、休養……かなあ。



1039年5月



獅白の技のステータスが偏りすぎてて笑う。
まあ、ここ最近の子達は軒並み技火と技土がさっぱり伸びないのですがね。



昇竜の爪を装備した乱花ちゃんが容赦なく連撃を繰り出しまして、マジ撲殺天使超時空シンデレラ。アイドルだから返り血なんて浴びないもん!(撲殺だしな……)



1039年6月
刑花が子供達の背中を見送るのもこれが最後だろうな、健康度25だしな……。



帰還。





刑花、享年1歳11ヶ月。
その涙も、誰にも見せないようにひとりで零していたのだろうなあと思うと堪らなくなります。
当主だから、強くあらなければと、強く頑なに思っていた節がある子でした。
で、やっと黄川人の首を取れるかと思ったら末っ子があんなこと言い出して、最後の一族のひとりにはなれなかったわけで……申し訳ないです……お疲れさま、ありがとう。



1039年7月
さて、皇夜が16代目当主となりまして。
以後、四ツ宮家は黄川人への嫌がらせを最大の目的と定め邁進して参ります。
「いやなに、私なりの手向けというやつだよ。あいつは家族恋しいようだから、義理とはいえ家族に殺されるのは本望だろう?」
とか何とか例の怖い笑顔で皇夜が言ってました。

当主就任祝いと景気づけを兼ねて剣福さんに刀の作成を依頼。



うーん、銘、銘なあ……。
今の継承刀は「天突(あまつき)」。天界から鬼への正義の矢が降る的な意味が表立って語られていますが、本当の由来は天界が家にとって害になるなら神様だって突き殺す、という7代目当主・狐実祢(こみね)の意志が込められています。

「『皆殺し』でいいのではなかろうか?」
「皇夜、それはちょっと直接的過ぎるよね……」
「私はそれでもいいと思うけどー」
「乱花ちゃんまで……」
それで、結局。



『撫斬(なでぎり)』
「ほんのちょっと遠回しになっただけじゃない」
「わかり易くていいだろう、トキカ」
「わかり易すぎるよ……」
「わかり易いのはいいことだと思います!」
「乱花ちゃん……」

まあ、この刀は最終決戦では使わないのですけれども。
福効果何も付かないうちに最終決戦だろうし。裏京都に行くことになったら使う機会もあるだろうと思いますが、裏京都に行くかどうかは未定なので、本当にただの景気づけです。

今の氷ノ皇子となら余裕で4回交神できるだけの奉納点は貯まっているので休養ー(奉納点稼ぎ飽きた)。



1039年8月
さてさて、早速『撫斬』装備。
お披露目に選考試合行って来ます。



対戦組み合わせのスクショ撮り忘れ。

阿部さんとこは久し振りに力押しで勝利捥ぎ取ったなあ。



1039年9月
復興復興。



宗教部門に投資していないので、町並みでは本来神社や像が建つところは廃墟のままです。
……四ツ宮家神様嫌い疑惑が都で持ち上がっていそうですが……もし裏京都に行ったら投資するから……。四ツ宮家は神様嫌いなわけじゃないですよ、昼子さまと馬が合わないだけですよ。

皇夜が元服、戦勝点もちょうど偶数、というわけで。
一発目の交神行って参ります!

「父上、久方振りです」
(娘と交わることになるとはな……)



1039年10月
で、休養です。

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1038年12月から1039年10月