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「ただ自分の悪手を悔しく思うだけの人の心は持ち合わせていますけど」

北辺家の鬼朱点事情。

内裏をはじめとした都の人々は鬼朱点こそが巷に蔓延る怪異の原因で、だから大江山さえ攻略すれば平和が戻ってくるのだと思っていました。阿部さんはそれで本当に終わりだろうか、と疑っていたのですが星にも八卦にも現れない、いわゆる予感や勘の類であったので何も言えずにいました。北辺家のイツ花(=昼子)は当然のようにことの真相を知っていますが、黙して語らずの姿勢を貫きます。
もし仮に一族の子が、鬼朱天を倒してからの諸々に耐え切れずに戦うことを止めるのならば自分の計画は失敗だったとして北辺家のことは捨て、また新しい一手を打つつもりでいました。つまり、鬼朱天の攻略は試金石だったのです。
結果として北辺一族は大江山での出来事の後にも戦いを続ける道を選び、昼子から捨てられることはありませんでした。
記事タイトルと冒頭の台詞は、吉平が昼子の計画を知ったときに言った「まるで碁石のようにあの子たちを扱われる。あなたの始めたことに何も知らず巻き込まれて矢面に立つのを不憫に思わないのですか」という言葉への返答です。
「半端な覚悟で始めたわけではないから良心は疼かない」、そして、もし北辺家の子等が戦いを止めるならば「自分の悪手で終わってしまったら、また次の一手を打つだけだ」というわけです。

昼子は全部を知っていましたが、吉平の言うとおり表舞台にいるのは北辺一族です。
大江山を攻略したにもかかわらず怪異が収まらない、否、余計に酷い状況になったとき帝や貴族の怒りの矛先は、当然のように筆頭討伐隊であり実際に鬼朱点を倒した北辺家の面々へ向けられることになりました。
阿部家へも叱責はありましたが、それは「あれ(北辺一族)が鬼朱天を倒すというのは見込み違いであったな」という類のものです。
「阿部のが神の子だと言って後見を申し出たから仕方なしに公式討伐隊として認めていたが、お前たちはまるで反対の結果を出した」「神の子だというのに何も知らないというのはおかしいのではないか」「そもそも神の子だということからして嘘なのではないか」
大江山での顛末を報告するために参内した祝子はそういった言葉を浴びせられます。しかし、祝子は顔色ひとつ変えることなく、ただ、「私たちは確かに神と交わり血を繋いでおりますが、それだけです。決して神ではないのです。そもそも、己に掛けられた呪いすらままならぬ身で、どうして神々の隠しておられた真実を気付くことが叶うのでしょう」とばかり話しました。
前述の通り、大江山の朱点童子討伐は北辺一族が「使える駒」か否か見極めるための試験のようなものでしたから、それに関する一切は北辺一族の者には秘すように、という昼子の命令が神々に下されています。しかし、祝子の交神時、その相手であった八坂牛頭丸は「戦いが終わるまでには長い時間がかかる」というようなことをぽろっと話していまして(八坂さんがあまり昼子さんのことを好きではなかったのと、結構情に流されやすいところがあるのと、少し考えなしなところがあるせい)、祝子は鬼朱点を倒すことが終わりではないのだと薄々感じていました。
しかし、阿部さんと同様に確信を持っていたわけではなく、また、本来は話してはいけないことであろうそれを話してくれた八坂さんの立場が悪くなるのでは、と思って何も知らないふりで過ごしたのです。
そんなギスギスして一触即発なところに生まれたのが灯子です。
朝廷の方は北辺一族が何か知っていて隠しているのだと疑っていましたから、灯子が吉平に連れられて帝への顔見せに参内した折、「お前は親である神から何か聞かされていないのか」と問われたことがありました。下界へ降りるまで「大江山の朱点童子」のことさえ知らなかった灯子は、問いの意味がわからずに「何のことをおっしゃっているのか、わたくしには見当もつきません」と答えています。
それ以降、疑いは完全に捨てきれないものの「神の子といっても常人より戦いに秀でる程度の存在か」と、北辺一族は若干軽んじられるようになりました。北辺家からしてみれば今までやたらと期待などをされていたので、少しは楽に動けるようになった、といったところです。
「神の子ではあるけれども神ではない」と明言されたことによって、北辺家を快く思っていないけれども手出しできなかった人たちが動き出すことになるのですが、それはまた後で語りたいです。

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いささかの良心の疼きもありません