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1020年8月

前回のあらすじ
6月7月と白骨城に殴り込みを掛け早瀬入手を目指すも玉砕。
そして、三代目当主・竜海と貴海の寿命が近付く……。

今回もスクショほぼ無しで進行いたします。

さて、8月。
健康度的に貴竜双子は今月が寿命のはず……35……。
鈴水と蒼子は大人しく休んでいて欲しいとお願いしましたが、この双子、最後の最後に人生でやるべきことを見付けたと言わんばかりに出陣する気満々です。
術ひとつに……と思わないでもないですが、貴竜双子にとって大江山は越えられなくて当たり前のものであったし、では何をしるべに生きてきたかって、無い、んですよ。前も語りましたが、水花や蒼海がそうしていたから迷宮討伐に出て、死ぬのが嫌だから目の前の鬼を屠って、その繰り返し。

それなので、ふたりにとっては初めて出来た人生の中で『やりたいこと』が『早瀬の巻物を入手する』なんですよね。はたから見たらちっぽけな事です。そんな事に人生かけるのか、みたいな。
でもですね、ふたりにとったら『やりたいこと』を見付けられた事がとても嬉しいんです。だから、身体が動くなら迷宮討伐に出る、今までずっと繰り返してきたのと同じに。

……と、まあ、お話しておりますが。

海音月には今月も自習をお願いしまして、貴竜双子と鈴蒼双子で白骨城へいざ出陣。

結果から申し上げますと。
8月も赤火は無く、鉄クマ大将パーティーに総当たり戦を行うも、早瀬の入手は出来なかったことをご報告申し上げます。以上。

後は特記するようなこともありませんでしたので。
さ、撤収撤収~帰宅帰宅~



……まあ……こうなりますよね……。

ですが、貴竜双子はこうなることを承知で出陣していたわけですし、家族にも自分たちの気持ちは説明して討伐に向かったはずなので、悲壮感というものはなかったのじゃあないかなあ。



次の当主は鈴水。
蒼子は可哀相な鬼を救って(殺して)あげることにしか興味がありませんし、海音月は若すぎるということで鈴水に。
鈴水は『当主になることがこの家で自分を確立する唯一の方法』と長らく思っていましたが、この頃にはそんな考えにも変化があったようです。

そしてお見送り……。



これは貴竜双子両方に言えることなのですが。
水花と蒼海の後ろをただひたすら追いかけて行くだけ、父親たちのしていることを真似ていれば『間違い』ではない。貴竜双子はずっとそうやって生きていたのだと思います。

水花も蒼海も貴竜双子を大事にしなかったわけではないのだけれども、水花→←蒼海(我が子)の気持ちが強すぎて、そこに固執してしまって、それは天界での出来事に由来するわけなのでふたりが悪かったわけではないのですが。
それでも、呪いを解くとかこの先生まれてくる子々孫々のためになる何かをするとか、そういった『未来への視点』を与えられなかったことは貴竜双子にとっては不幸でした。水花と蒼海が亡くなり、追う相手真似る相手が居ない、そうなったとき双子は一度道を完全に見失い途方に暮れたはずです。

何も期待せず義務のように交神して、来訪した子と顔を合わせたときにきっと少しだけわかったんですよね。水花がどうしてあそこまで息子である蒼海に執着したのか。
今まで一番弱い立場だった自分たちの子は自分たちよりもっと弱くて、庇護してやらねばという使命感と、理由も無く溢れる自分の血を継いだ子が愛おしいという感情がぶわっと湧いて来たから。

竜海の言う『答』が貴海やその娘・鈴蒼双子という家族のことであるのか、娘である海音月のことなのか、家族との日常のことなのか、それとも全く別の何かであるのかはわかりません。
ただ、この遺言を聞けたことで竜海は『生』を無駄なものではなかったと認識できたのだな、よかった、と思いました。

当主様、お疲れ様でした。



双子の兄として生まれ、当主になった弟を支えて来た人生でした。

吾ガ浦家の『当主』というものは現時点でふわっとした認識をされているもので、御所への参内(報告)、陰陽寮との報連相(基本当主が取り纏めて行なっているが、必要があれば一族誰でも行なえる)、討伐全般の計画とまとめ、くらいの役割を家族のうちで引き受けている人、という認識です。

当主だから偉いとか敬わなければいけないとか、当主の決定は絶対とかそういうことはありません。
これはひとえに『現在の吾ガ浦家では呪いを解くという目標を持って生きている人間が居ないから』です。これから先、誰かが、あるいは家族全体がそうではない考えをもったときに当主の役割も少しずつ変わっていくのではないかと思っています。

さて、貴海の言う『葬式』は一族のものではありません。水花と蒼海が亡くなったときに家に居たのは貴竜双子とイツ花だけだったからです。それに加え吾ガ浦家はむやみやたらと敷地が広いので、(一部を除き)市井の音はあまり聞こえてきません。
ですから、貴海が言っているのは街へ買い物か何か用事があって出たときのことでしょう。

すれ違えば挨拶をする程度の知り合いの家、誰が亡くなったかはわからないけれども葬式が出ている。
参列者は一様に暗く寂しげな顔をしているなかで、参列者のひとりが抱いている赤ん坊が突然泣き出す。
その赤ん坊をあやす参列者の顔は、陰鬱なだけではなく赤ん坊への慈愛も混じって泣き笑いのよう。

貴海も子を得た後のことだったので、その光景を見て感じるところがあったのだと思います。死があれば生もあって、失った悲しさは消えないけれど、生まれ来た喜びがそれを癒す一助となり得ることを。
そうやって人の歴史は今まで連綿と続いて来て、今ここにも繋がりがあって、きっとこれからも続いていく。吾ガ浦の家もそうであればいいと願ったのだと思います。思いたいです。

お疲れ様でした。




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【吾ガ浦一族】1020年8月